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2019年7月28日日曜日

あのひとは負けた時・挫折した時はどう乗り越えている?;加藤一二三さんの人生論【NHK:人生レシピ】


「7月19日」の
「あしたも晴れ!人生レシピ「負けても前を向いて!~加藤一二三(79)~」
では

2016年12月に将棋の第一線から退いた
「ひふみん」こと加藤一二三さんが
ゲストとして出演されていました。

ひふみんと言えば、
将棋界で記録をいくつもお持ちでいらっしゃるうえ、
親しみやすそうなルックスが人気な方ですよね。
そんな彼も人生は山あり谷ありの連続だったうえ、
一時期はスランプに悩まされたこともあったとか。

それでも、
幾度となくスランプを克服してきた加藤さんですが、
どうやって苦しい時を過ごし、
這い上がってきたのでしょうか?
気になったので、メモしてみました。

・加藤一二三の記録
・挫折の時ささえたもの
・第2の人生を生き生きと過ごす秘訣とは
・加藤一二三の棋士時代
・挫折→復活へ
・「弱いから負けたと思ったことはない」
・引退試合を振り返って
・「負けすぎ」という意見にはに「その通りだと思う」
・「勝つことが全て」という考え方は未熟→加藤流将棋の教え方
・人生訓「白髪になっても…」

という内容でメモしてみました。

別記事として

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も、どーぞ




・加藤一二三の記録

2016年12月に将棋の第一線から退いた
「ひふみん」こと加藤一二三さん。
14歳でプロデビューしたあと
(この62年間誰にも破られていません)
「神武以来の天才」という名が表すように
瞬く間に昇進記録を達成。
この記録は今も破られていないとか。

現役勤続年数:歴代1位
(62年10か月)

戦勝記録:歴代3位
(1324勝)

敗北記録:歴代1位
(1180敗)

という、様々な記録の保持者でもあります。

・挫折の時ささえたもの

棋士人生においても
知られざる苦労や挫折も経験したそうです。


行き詰った。
このままでももう先が無い
将棋を指すときにどういう気持ちで
次の手を自信をもって刺していいのかが
曖昧模糊でわからなくなっていた


と語っています。

それを支えたのが30歳の時に出会った
キリスト教だったそうです。


一生懸命に将棋を考えて
”これだ”という手をさせばよい。
それが神様が望んでいることだと里った。


とのことでした。

また、家族の存在も大きかったそうです。

妻紀代さんが支え続け
勝負の前にはびーふすてーきをつくる
負けた時はニコニコとして好きなお料理をつくって
かえって将棋の事にはふれないようにしたのだそうです。

・第2の人生を生き生きと過ごす秘訣とは

ちなみに、引退会見の時の言葉は


精魂込めて 魂を燃やして精進した結果
50年100年色褪せない名局を指すことが
できたということが
大きな誇り喜び 
心安んじて引退していくことができ
大変ありがたいと思っております。

ですが、

第2の人生を生き生きと過ごす加藤さんの
秘訣は何でしょう?


引退された今の方が、
以前よりお忙しいそうで、
将棋の本を書いたり、
あちこちで講演などを行ったりと
大活躍されているそうです。

「人生論の勉強がオススメだと思う。」
というのが加藤さんのアドバイスですが、
将棋で培われた人生論とは何でしょうか?

・加藤一二三の棋士時代

プロ棋士の階級は

名人>A(級)>B-1>B-2>C-1>C-2

という構造になっていて、
A級に入れるのがプロの中でも10名のみです。

その中でトップの成績をおさめることで
名人に挑戦ができるようになります。

加藤さんがA級になったのが18歳の時で
この記録は歴代最年少でした。

戦い方はいつも攻める強気なスタイルで、
「棒銀(銀を浸かって攻める作戦)」が得意。だったとか。
研究されやすい作戦でありながら、負けませんでした。

対戦相手は「棒銀」で攻めて来るとわかりながら待っている所に
力いっぱい攻めていくことが好きだったそうです。

ところが20歳で名人に挑戦をするのも敗北し、
その後は低空飛行を続け、B級に落ちるほどになってしまった。
将棋の観戦記に「加藤の将棋はつまらない」と
書かれるほどにまでなり、
自分でも自覚するほどにスランプになってしまったそうです。

そこで支えとなったのがキリスト教だったそうです。

・挫折→復活へ

聖書の

思いわずらうな 必要なものはすべて与えられる
探しなさい そうすれば見つかる

という言葉が励ましとなったのだとか。


「吹っ切れたのが大きい」と加藤さんの言葉です。

「今まで培ってきた将棋の能力を使って
真剣に読んで 心身を整えて 一生懸命考えて
これだ!というものを指せば
それが神様が望んでいらっしゃることだと悟った」

そして、42歳の時念願の「名人」のタイトルに挑みました。

当時の相手は中原誠さん。
9年間「名人」を守ってきたひとでした。
(加藤さんは20連敗している相手でした)
最終戦では20時間にわたる戦いの末に勝ち取りました。

「最後の最後はどうみても95%私が負けていた
中原さんが勝つ手を逃して 私が勝った
劇的な名人戦だった やっぱりうれしい」

と、加藤さんは述懐しました。

「将棋の特徴はギリギリの勝負が展開する
将棋というものの性質が厳しい」

ということで、

心を落ち着けるため、
休憩時間にミサにいくこともあったそうです。
また長い時には3時間祈ることもあったそうです。

その時は〝勝たせて下さい”と祈るよりも
神様にお任せする気持ちで祈る方が
上手くいったそうです。

名人からB級へ落ちることもあった加藤さんですが、
B級からA級へ5回昇級することもあり
これも「史上最多」の記録をお持ちです。
今までの将棋の歴史ではA級からB級に落ちると
上がるのは難しく、
この記録も加藤さんの誇りだとか。

・「弱いから負けたと思ったことはない」


僕はよく負けていますけど
弱いから負けたと思ったことはない
相手がうまく戦ってきたから負けた
やる気も十分で熱心に戦って負けたなら
そういったことも人生あるでしょうくらいに思う


最多勝利の記録を持つ羽生善治さんは
加藤さんの最多敗記録についてこう述べます。


小手先 目先の利益をとるというやり方は
決してしなかったからなのでは と思う
求道者のような先生だとも思う
最多敗は活躍していないと絶対作ることができない記録なので
人智を超えた世界と言うかよくわからない世界です


・引退試合を振り返って


試合前に2週間没頭して研究した。
「2週間研究して負けたのですから
もうこれで引退と言う状況は静かに受け入れますと
心の中で神様に申し上げました。


帰ったら妻が「お疲れさま」といって
ネクタイをプレゼントしてくれたんですね。
負けてお疲れさまではなく
このネクタイをつけてね
これからも度々買ってほしいという願いを込めて
ネクタイを用意していた。
なかなか妻もね楽観的なんですね。
妻に深く感謝しているところなんですよ


というエピソードを語ってらっしゃいました。

・「負けすぎ」という意見にはに「その通りだと思う」

加藤さんはこうも語っています。


負けた直後と言うのは
ある意味チャンスなんですね。
どんな負けでも”ゼロ”ではない
負けても負けてもいつも変わらず
元気いっぱい挑戦していくのは
ある意味ものすごく評価できますよね。


イエスの言葉に「喜んで明るく生きてましょう」という
メッセージがあるんですよね。
私はいつも将棋の戦いはほとんどいつも喜んで指してきました。
指すときは必ず明るい気持ちで指していくように
心がけてきましたね。


・「勝つことが全て」という考え方は未熟→加藤流将棋の教え方

加藤さんは将棋教室でも子供たちに将棋を教えたりしますが、
子供たちに考えさせる方法で教えていきます。
勝つだけでなく、負けるのも当たり前だという教え方です。

「まずは将棋で勝つ経験をしましょう。買ったら楽しいからね」
という方法で教えるのではなく、

「将棋にはこういういい手があります。
いい手があるから面白くて楽しいから励んでいきましょう。」
という考え方をします。

将棋で勝つことが非常に嬉しいという感覚は危険。
というのが加藤さんの持論でした。

人生で勝つことが全てという考え方は
どっちかというと未熟な考え。
人生が思わぬ展開になっても、
この世の中、幸せを目指して頑張るという
考え方の方がいいと思う。とのことでした。

「加藤さんにとっての将棋の魅力とは」という質問には
「いわゆる美しい手順とか美しい指し方というのがあった。
将棋そのものの中は美しい戦い方です。
将棋の分かるひとには感動の世界ですね。」

「人生では自分自身が手ごたえを感じたことが有れば
成功といっていい」

・人生訓「白髪になっても…」

加藤さんの人生訓は、旧約聖書にある
「白はつになっても実る」でした。

自分の人生、どうして生まれてきたのか
自分の人生、何だったのか
これから先自分の人生に何をやることがあるのか
どうして、具体的に喜んで生きてくのか
白髪になっても何を実らせるのか
何か思索を深めていってほしい。

何か達成すべきことがあるような人生を
歩んでいきたいとおもっている。

「これからの夢は自分が指した将棋を本に書いて残したい」

「することは山とあるんです。」
と、いう言葉で番組を締めくくりになりました。

勉強になりました)
これからも意欲的な加藤さんのお言葉は
一介の若輩者からしても、
とても励みにも勉強にもなりました。

別記事として

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も、どーぞ 




2019年7月18日木曜日

技術者・SFファンに質問!AI・人工頭脳Iに倫理は必要か?【7/3NHK】



7/3(水) にNHKで
「超AI入門特別編 ロボットが正義を決める時?倫理に感情は禁物か?」
という番組が放映されていました。

「ロボットが正義を決める時?」という副題と、
(けど、そういうSF映画とかよくありそうじゃん??)
「AIに倫理が必要」という番組の内容に興味をもったので、
忘れる前にかるくメモすることにいたしました。

ちょっと余談ですが、

AI,つまり機械と「倫理」。というのはどういうことでしょう?
機械をつかうひとに「倫理」が必要というのは
わからないでもないです。

機械、つまり、PCと、倫理との関係とは何でしょ?


たしかに
数年前から、AIというものが盛んに言われるようになってきましたね。
AI、ロボット、アンドロイド、自動運転車両なんて、
今やSFの中だけの話ではなくなってきました。

とはいえ、
 AIなんてものは
人工的につくる機械のための「頭脳」なわけですし、
現代科学では
それを造る=プログラミングするのは
人間なわけですから、
当然、つくるヒトが好き勝手つくっても良いハズです。
とはいえ、
本当に「好き勝手」につくったら、
世の中が混沌とした、たいへんな世界になる可能性もあるわけで??

と、思いつつ番組の一部をメモしてみました。

・AIの倫理について
・「知性」とは何なのか?
・「道徳倫理」?「徳倫理学」??
・機械に「感情」や「共感」はうまれるのか?
・ロボットに「感受性」や「感情」はない
・「ロボット」の規範は「人間」が決める
・「倫理」を議論する必要性
・人間には「感受性」や「感情」がある


という内容で、抜粋をお送りします。

ほぼ箇条書きなのは御愛嬌ということで御容赦を。

AI開発に携わってみたい方にも、
SF小説・漫画を作成してみたい方にも、
人間の「倫理」とは何か、機械と比較して考察してみたい方にも、
「倫理」の概念について御一読いただければ。と思います。



・「AIの倫理」の定義

AIの倫理について
「コンピューターも何が道徳的に正しいのか学ばなければなりません」
と、倫理学者の「ウェンデル・ウォラック」が
番組内で提唱していました。


AIに
倫理的な判断ができるのか
道徳的な配慮ができるのか
AIのそういった選択と実行に
繊細な判断を組み込むことができるのか?

という事を、博士はテーマにしている。

例えば、
ロボット三原則のひとつに
「人を傷つけてはいけない」というものがある。

だが、
必要なのは厳重な安全装置なのか?
正当防衛はどうなのか?

様々なケースに対して
原則だけではうまくいくとは限らない。

その判断基準として、
鍵となるのはルールを逸脱する「道徳」であり
その土台が人間の倫理や価値観である。

AIの登場と同時に
人間もアップデートする必要があるのではないか?
と、博士は提唱する。

そもそも「知性」とは何か?

博士は

賢さ、繊細さ、意識の高さ

を挙げていました。

知性には更に社会的性質があり、
個別だけでなく、集合的なものもある。

我々人間は集合知でイノベーションを起こしてきている。

「知性」とは
「自己認識、知恵、理解できていることと
できていないことを知ること」である。

一番強調したいのは、
知性は集合的だということである。

文化に支えられ時間をかけて培われたものであり、
個人の中だけで育つものではない。

個人個人の知性のかけらを持っていたとしても、
それらをすべて集めない限り知性とは呼べないのです。
と、ウォラック氏は語る。

「集合知」とは世代を経て文化的に継承したものである。

人々は道徳的判断を、
宗教や社会的規範など、より高次の原則に基づく。

これらは成長する過程で
何が重要か、何に価値があるか、何に注意を払うかを学ぶ。

高いレベルでの原理が関わっているかどうかは別として
我々人間は善良な市民、
気配りのできる人間
道徳的に適切な行動を取れる人間に
なる方法をしることができる、

AIも人間との同じように
何が道徳的に正しいか学ぶ必要がある。

・「道徳倫理」と「徳倫理学」という考え方

ここで、
「道徳倫理」というものを挙げる。

「道徳理論」には大きく分けてふたつの立場がある

ひとつめは
社会の義務も守ることを良しとする
「義務論」Deontology(哲学用語)。

自分が属する社会定めたルールや義務も守ることが
道徳的だという考え方であり、
例として哲学者「カント」の考え方である。

ここで、疑問が出て来る。

ルールを守ることが大事なのは誰でもわかる。
だが、
良心に反する命令をされたらどうなるか?

これに対して、
もうひとつは
「ベンサム」や「ミル」たちが発展させた
「功利主義」や「帰結主義」と呼ばれる方法である。

行為の良しあしはルールではなく、
行為がもたらす結果や効果、影響によって判断される。

良い行為は社会全体の幸福や利益を最大化させたもの
「最大多数の最大幸福」を判断の根拠にするものである。

とはいえ、多数決がいつも正しいとは限らない。
少数意見が抹殺される場合がある。


これは、どちらの考えもある一つの推論だけに
基づいている考えかただといえる。

第三の意見として、
「徳倫理学」という考え方があります。

第三の説、「徳倫理学」は
性格のよい人が実現するものだ、と主張する方法。

(※この場合の「性格のよい人」というのは
世間一般でいう「善いひと」「人格者」などのことです)

最大多数の最大幸福のためでもなく、
義務のためでもない。
「頭で考える」のではなく、
「良い行為なら無心でできるはず」という説に基づくものであり、
「プラトン」や「アリストテレス」などの考え方にあたる。

これらの考え方から
「倫理」を「機械」に教えていけるのではないだろうか?

AIに倫理の論理を持たせることや
特定の文脈の中なら充分に機能するはず。


・機械に「感情」や「共感」はうまれるのか?

しかしすべてのコンテキストで満足に機能するかといたら
無理だろう。

機会に倫理の論理を持たせるだけでは不十分。
機会に性格をもたせ、ある文脈の中で
人間やほかの存在(動物や他の人工物)と
交流させる必要があります。

・ロボットに「感受性」や「感情」はない

AIはどのような倫理に基づいて判断させるのか?
人間は倫理をプログラミングできるのか?

という疑問は残ります。

それ以前に、
AIを使う人間のいう「倫理」とは何でしょうか?

また、
アンドロイドに子守をさせるのは倫理的か?
介護をさせるのは倫理的か?

AIを媒介とした人間同士の間でも倫理は見つめ直されるのか?

これらの疑問には
「とても難しい問題です。」と博士は述べます。

人間の尊厳をまもったり
生活を豊かにするための最適なケアとしては
ロボットを頼りにできるかは疑問である。

ロボットには感受性や感情がない。
ロボットは相手の気持ちを本当に理解できるわけではない。

逆に、
感受性や感情がないシステムには害になることがある。

とはいえ、
ロボットが役に立つこともたしかである。
人間が飽きるような作業を代わりに行うのは向いている。


新しい時代の倫理がどうあるべきか?
これは何よりもまず人間がやるべきである。

・「ロボット」の規範は「人間」が決める。

規範を造るのは人間。
規範を決められるのはロボット。

規範は「誰」がどう決める?

啓蒙思想が現代の隅々にまで浸透している。

神が中心の世界ではなく、個人が焦点の世界。
現代社会の解明啓蒙思想の功罪を考えることが大切だという。
しかし、数百年後も必要かは疑問が残る。

啓蒙思想の影の部分は
世界を精神と物質のふたつに分けて解釈してきたことである。
デカルト的な二元論では限界がある、という。

【倫理=不確実な人生の旅の案内役】。

倫理の本来の姿とは「パラメーター」のようなもの。
望まない状況に陥ることを気づかせるもの。

選択や行動をするとき、
パラメーターを使うと良い結果になりやすいというもの。
もし、パラメーターに背けば困難な状況が生まれる可能性がある。

社会的に必要な物は
より秩序のある世界か
より混沌とした破壊的で暴力的なな世界を選ぶか、
博士にとってはそれが倫理の役割だという。

人類のために必要なパラメーターに軌道の修正が問われるのである。

・「倫理」を議論する必要性

AIの開発倫理のために
倫理観を議論する必要がある。

我々が今直面している大事な倫理的問題は、
新たなテクノロジーが暮らしに影響をもたらすときである。

個人的に社会的に、どこまで許容できるのか?
パラメーターを設定するために
基本的な目標と価値観を打ち出すことが必要。

問題は我々がAIに何を期待するのか、
そもそも何をさせたいのか、
我々は自分を理解しているか、
我々が成熟することも必要である。

善悪の概念はひとによって異なるから
AIに正しい概念を教えることも不可能なのかもしれない。

・人間には感情がある

感情、共感、意識の能力が人間には備わっており、
人間は他の生き物と関わる社会的な生物が大前提である。

人間に似ている生物が何をするのが正しくて、
間違っているのか正しく判断することが必要。

AIやロボットを作るときには
感情、共感、意識はそなわっていない。
だから、誰かが構築する必要がある。
ひょっとしたら構築することはできないかもしれない。

感情、共感、意識のどれが必要か。

ウォラック氏は「感情」が必要だという。
感情こそが道徳の基礎になる。
AIが正義を決める時、感情が土台になってくる。
感情を学ばないことは、
判断のための必要な怒りや怖れから我々を遠ざけてしまう。

感情に邪魔されず判断できるのは人工物の利点だが、
適切な道徳的情操をもっていないことが問題となる。

そして我々は
感情的知性が必要になってきた。
感情を読み取る力が必要になってきた。

そのためにも
問いかけをし続けることが重要である。
善悪の概念を考え続けることになる。

AIやロボットの存在によって、
皆が自分自身の価値観を新たな角度で見つめ直すことが必要である。

AIは複雑な状況下では
シンプル(デジタル)な考え方から抜け出せない

西洋の二元論と東洋の一元論を超えて
AIが促す新時代の感情の探求は終わらない。


ちなみに複雑な状況下でも判断をつけられるとか
感情を持つ、複雑な考え方を持たせる云々の話になると、
コンピューターに自律性を持たせるという考え方になってくる
(AIも隠し事をしたり嘘をつくようになる?)
とのことなので、ここでは触れていません。
(別の回になります)



いかがですか?)

いやー、面白いですね。

AIの「倫理」ですか。

機械(アンドロイド)に「倫理」や「道徳」は必要か?

マッドサイエンティストの作成したものならともかく、
 大抵のSF作品などには、
倫理や道徳心あふれるやさしいロボットが出て来ることが
殆どですが、
当然その「やさしさ」を創っている(プログラミングで設定している)のは
人間(場合によっては、”マザー”ロボット的な何か)なわけでして。

そして、人間のコミュニティ同様、
人間と機械、機械同士がコミュニティをつくるうえでは
やはり、倫理感や秩序のようなモノが必要ではないか、と、
筆者も考えるところです。

あなたは、どうお考えですか?? (^▽^)


機械の倫理学や道徳なんてあまり考えたことありませんが、
たしかに、「機械」なんて【人工物】に
人間や生物のようなものを要求するのは
期待しすぎなのカモしれません。

しかし、「道徳」を機械に教えるために
まず、人間が「道徳」をアップグレードする必要がある。というのは
なかなか含蓄があり、なかなか難解なことだと思いました。

数百年後にはAI入りロボットの方が
人間よりも【道徳的】な考えを持っているかもしれません。
アンドロイドが人間をみて
「なんて野蛮な」とか絶句していたりする光景…
いや、笑えない…笑えない絵ですよ、これは…

今までの価値観以上に
【人間としての良識】が問われる時代も近いですね、こりゃ。





ちなみに
「パラレルワールドともう一人の自分に会えるかどうか?」 に
ついての番組は

こちらにメモしています。


「魂(死後の世界)」についての番組内容は

こちらにメモしています。

「死んだあとに黄泉返る方法」については

こちらにメモしています。


宇宙からの重力波発見に関する宇宙好きな方は
こちら

地球や太陽が消滅したあとの人類や宇宙航行がきになる方は
こちらどうぞ。



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