本日「7/1」の【サワコの朝】という番組で、
阿川佐和子さんと対談した
今日のゲストは
プロサッカー選手の長谷部誠さんでした。
長谷部さんといえば、
静岡県出身で、
元浦和レッズ所属の後、
現在は
ブンデスリーガ・アイントラハト・フランクフルト
にて活躍しておられるそうです。
現在3度目の日本代表として
のワールドカップにむけて
日々鍛錬を積んでいるそうです。
(7月現在はアジア予選)
また、2011年に人生訓として出版された
「心を整える」が
140万部の売り上げを誇る
ベストセラーになっています。
世間的には「真面目なひと」と
知られているそうですが、
ご本人は「学生時代はサボリ魔だった」という
エピソードを披露しておられます。
そんな長谷部さんとの対談をメモしてみました。
・最初は目立たないサッカー男子。
・実はサボるのが得意
・プロ選手になるつもりはなかった
・プロ入り後いきなり戦力外通知
・自分の中が変わった「きっかけ」
・ドイツチームのキャプテンを任される
・嫌なことはあっても愚痴は言わない
・ゆったりする時間がアイデアの元。
という内容でお届けします。
別記事として
あの「太川陽介さん」も無職で挫折経験有?『引きこもり』からの復活劇とは?
→【こちら】へ
数々の 最多記録をもつ元・名棋士「加藤一二三」は負けた時・挫折した時はどう乗り越えてきたのか?しりたいひとは
→【こちら】へ
どーぞ。
・最初は目立たないサッカー男子。
3歳の時からサッカーをはじめ、
小学生の時も厳しい練習を続けていた長谷部さん。
サッカーが無い人生の方が考えられないほど
だそうです。
とはいえ、
サッカーの名門であり進学校でもある、
静岡の藤枝東高校に入ったときは
ABCDまであるチームのうち、
ずっとCチームにいて、
高校2年生の冬まで試合に出たことが
無かったそうです。
ようやく活躍したという自覚があったのは、
3年でAチームにあがれた時です。
上がった理由はわからないが、
一番成長できたのも
この高校3年生の時だと思ったそうです。
・実はサボるのが得意なタイプ
意外にも、ご本人は
「真面目と思っているのは世間的なイメージ。
本人は真面目ではない」と
ご自分を語ります。
Cチームから、Aチームに上り、
プロにまでなったのだから
長い間練習も欠かさず、
地道な努力を続けてきたのだろう。
と思いきや、
実はマジメではなく、さぼるのが得意なタイプ
だったそうです。
練習中も、先生が見ているときは、
真面目に走っても、先生が見ていないところでは
ゆっくり走るなど
手をぬくこともしていたのだとか。
そのときの経験が元で
先生の眼=周りの眼を気にする習慣が
生まれたのではないかと、冗談まじりに
エピソードを紹介されました。
・プロサッカー選手になるつもりはなかった
とはいえ、
本人はプロになるつもりではなかったようです。
進学校だったことも有り、
大学へ進学するひとが殆だったようで、
クラスメートたちのほとんども
プロになりたい人はいたようですが、
結局は進学していたそうです。
彼の卒業した年も、就職したひとは、
当時プロサッカー選手になった
長谷部さんだけだったようです。
プロ入りするにあたって、
ご両親も、プロは厳しい世界だと、
反対をしたそうです。
そんな中で
お祖父さんが賛成してくれたことで
プロになることに決めたようです。
・プロ入りして、いきなり戦力外通知
とはいえ、プロに入った長谷部さんは
いきなり、
プロと学生サッカーのレベル差の壁に
ぶちあたったそうです。
高校を卒業した中で、プロとして35人が
入ったそうですが、
そのうち、
最初の合宿には
連れて行ってもらえなかったとか。
つまり、実質的に、
いきなり戦力外通知を突き付けられた。
というのです。
・自分の中が変わった「きっかけ」
と、いきなり壁に当たってしまった
長谷部さんでしたが、
戦力外から一転、
活躍するまでになったのは、
1年目が終わったときに、
お祖父さんが他界したことが
きっかけだったそうです。
お祖父さんは入院しながら、
孫が試合に出る日を楽しみに
していたのですが、、結局御存命中に
プロとして試合に出れなかったことが
心残りだったそうです。
ですが、それをきっかけに
自分の中にある「スイッチ」が
切り替わったそうです。
そこからは
自分にある「スイッチ」を切り替え、
普段「さぼり魔だった生活習慣」だったことから
一転して、
全力であらゆることに向かうようになったそうです。
2年目から先輩とケンカするくらい、
体当たりして打ち込んだそうですが、
そのうち「これはイケる」という感覚が
芽生えてきたそうです。
そうして、実力がつき、
プロとして活躍しはじめることとなっていったのだとか。
今でも亡きお祖父さんに、語り掛けているそうです。
・ドイツチームのキャプテンを任される
長谷部さんが
2008年の1月に
ドイツのウォルスブルクに移籍した時の
エピソードも紹介しておられました。
そのころ日本代表にも選ばれていなかった
長谷部さんは、すっかり自信を無くし
ネガティブになってたそうです。
また、そのころ海外で
活躍していたのは日本人でも一部のトップでした。
ですが、
環境を変えることが
自分のターニングポイントのひとつだという
自覚があった
長谷部さんは、挑戦してみようと思ったそうです。
結果、ドイツのチームで10年活躍している。
キャプテンに指名されています。
「ドイツで学んだことで大きかったことは?」
と阿川さんに尋ねられ、
「広い視野をもてたことが一番大きかった」
と、長谷部さんは答えました。
ドイツでキャプテンに指名されたが、
キャプテンの言うことを、
チームメイトが言うことを聞かない。
真面目に練習するように指示しても、
ダラけながら練習をすることもしょっちゅう。
(日本のチームなら指示を聞くのに)
自由なひとが多く、まとめるのが大変だ、と
苦労が色々あるようです。
18ケ国から様々な人物が集まっている
宗教や言葉・文化がちがうひとたちと
日本人の感覚だけでは生活できない。
だから、視野も広がる。だそうです。
・嫌なことはあっても愚痴は言わない
著作である「心を整える」では、
愚痴を言わない。という記述があるそうです。
それについて、御本人は。
「
愚痴を発したことになって
ストレス発散になることが嫌だ。
結局、物事の本質をついていない気がする。
」
との説明されました。
本人も愚痴を言っていた時期はあったそうです。
が、
試合が出れないことを、
監督のせいにしたり、人のせいにするのは簡単です。
でも、それは変えられないところでもある。
それだったら自分が変わった方が早い、
だから、今はそういう考え方に
自分をもっていくようにしている。
とのことでした。
・ゆったりする時間がアイデアの元。
また、長谷部さんは
ドイツに行ってから自分と向き合う時間を作った。
とも言っておられました。
ゆったりする時間を作る、
自分と向きあい、自分と会話をする時間を作ったり、
本を読んだりして、
様々な著者たちの考え方などを自分の中に取り入れていった
のだとか、
せわしなく過ごしているとアイデアも湧いてこないそうですよ。
いかがでしたか?)
長谷部誠さんの
思い出の歌のひとつは
「ひなげしの花」だそうです。
3歳からサッカーをしていたそうですが、
送迎をしていたお母さんが
車の中でよく歌っていたのが
アグネス・チャンさんの「ひなげしの花」だったとか。
また、Mr.Childrenの「彩り」という曲もお好きだそうです。
サッカー選手も見た目は派手なようで、
地道な努力が基本。
普段のトレーニングや練習は地味なことを
コツコツやっている”仕事”だそうです。
ミスチルのこの歌詞が、御自分の支えにも
なっているそうですよ。バイブルだそうです。
彼のような日本代表に選ばれるような
ひとでも、決して恵まれた人生だったのではなく、
”下”から、努力をしたり、挫折から這い上がったり、
環境を変えてみたりと、
不屈の精神で今の地位を掴み取ったということなんですね。
だから、こうしてたくさんのファンがいて、
著作本もベストセラーになったのかも
しれませんね。
今回の対談番組を拝見して、
謙虚なお人柄がよくわかりました。
サッカーの日本代表という肩書にも関わらず、
この謙虚で気負わない、普通な感じが
たくさんのひとに慕われる理由なのかも
しれないとおもいました。
別記事ですが:
あの「太川陽介さん」も無職で挫折経験有?『引きこもり』からの復活劇とは?
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数々の 最多記録をもつ元・名棋士「加藤一二三」は負けた時・挫折した時はどう乗り越えてきたのか?しりたいひとは
→【こちら】へ
どーぞ。