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2016年9月25日日曜日

徳川家康は村正愛好家?「村正」は本当に"妖刀”だったのか?

にっぽん!歴史鑑定
という番組で、
9/12(月)は「家康が怖れた妖刀・村正」という話でした

これは、田辺誠一さんというひとが出演している番組です。
歴史研究家 小和田恭経さんというひとがゲスト解説として
出ておられました。

そちらで有名な日本刀(刀匠?)の「村正」が
紹介されていたので歴史好きとして
ついついメモしてみました。

・村正の産地
・家康と「村正」の因縁
・あの真田信繁も「村正」を持っていた?
・"妖刀”は自演?「家康所蔵」の謎
・「秀吉の刀剣エピソード」にみる有名武将の刀剣好み
・村正が「名刀」である理由と斬れ味の秘密は?

という題材でメモしてみました





名古屋市の「徳川美術館」には
徳川家由縁のものが色々と展示されており、
甲冑や着物の他にも
名刀の数々も収められていますが、
その中には
村正(室町時代の作成)
と銘づけられた名刀が有ったそうです。
なぜか番組放映時展示していないそうおらず、
地元民としては
家康が所持しつつ、怖れていたというこの刀「村正」
はてさて、その実態は?という話です。

・村正の産地

「村正」と銘づけられた刀は、
伊勢桑名でつくられたそうです。
短刀、脇差から槍など色々な「村正ブランド」の刀が
流行していたということでしょうか。

刀身をみるに、
刃紋の美しさや斬れ味、
実戦的な先反りなど刀剣ファンじゃなくても
見惚れてしまいそうな刃先が色々ありますね。

事実、実戦的な刀としてもすぐれていたようです。


家康と「村正」の因縁

家康は祖父・父、正室、長男を、亡くしていますが、
そのどちらも「村正」によって殺害されたと
いう話です。
であまりにも「村正」の刀がからむので、
「徳川実記」で家康が「村正禁止」と命じたとのことです。
そして、江戸時代頃にまことしやかに流れた
妖刀の噂は江戸時代末期まで続いたそうです。


・あの真田信繁も「村正」を持っていた?

ちなみに、大阪の陣ではあの真田幸村も
村正製の刀を持っていたらしいそうです。
家康の陣に肉薄した際、幸村が家康に投げつけた刀が
村正だったという説があるようです。

たまたまなのか、何か祈願をこめたものがあったのか、
はてさてどちらだったのでしょうか?

・"妖刀”は自演?「家康所蔵」の謎

とはいえ、上記のとおり、
徳川家所蔵にも村正銘の刀はあります。
ではなぜ家康が、そこまで因縁があり、
おそれたとされる「村正」を持っていたのか
という疑問が残ります。

これに対しては
村正を独占するために「妖刀の伝説」というイメージを創りだした
という説があるようです。
村正を怖がるどころか、かなりのファンだったということですね。

ある意味営業妨害なのですから、
メーカーにとっては迷惑な話な気もしますが、
(Wiki調べしたところ)江戸時代ごろには千子村正と改名しているようです。

また、とある事件を基にした、
「籠釣瓶花街酔醒」という歌舞伎で"妖刀”村正を扱った演目があったことで
こういった噂が定説になってしまったようですね。


・「秀吉の刀剣エピソード」にみる有名武将の刀剣好み

余談ながら
番組では面白いエピソードが紹介されていたので
これもメモしてみました。
「常山紀山」という江戸時代作成の逸話集には、
豊臣秀吉と五大老のエピソードが有ります。

豊臣秀吉が五大老の刀をそれぞれみて、
宇喜多秀家は華美な刀
上杉景勝は長い刀
前田利家 古い刀
毛利輝元 変わった刀
徳川家康は実用的な刀
の持ち主だろう、と語った。
という逸話があるそうです。


・村正が「名刀」である秘密は?

岐阜県関市にある「関鍛冶伝承館」の、
ちなみに、
関は「兼元」「兼定」という銘柄が有名だそうなので、
刀剣ファンの方ならピンとくるかもしれません。

関も桑名も美濃の鍛冶の流れを組んでいるそうですが、
刀匠の吉田研さんというひとの話によると、
村正の刃紋は高低が高いので凄さを感じられるとのことでした。
「日本刀は斬れ味だけではない」という話でした。
刀は戦場で使うものなので、
村正の良さの醍醐味は斬れ味が続き、
刃が折れにくいことがポイントだと吉田さんの話です。

刃の折れにくさは鋼(玉鋼)に含まれる炭素量だそうです。
炭素量が多いほど硬くなるのですが、硬すぎると折れやすくなります。
それで、炭素量の少ない鋼を多い鋼でコーティングするという
造っていたのではないか?という話でした。
村正は、こういった卸鉄の組み合わせが絶妙だったといえそうですね。

また、室町時代の流行は波紋の高低が大きいことだったそうです。
とはいえ、刃紋の高いところは低いところより脆いため、
刃紋の高いところが多い刀ほど脆い、というのがほとんどでした。
が、(吉田研さんによると)
村正は刃紋の中に地鉄に近いグレーゾーンのようなものを
造り出すことで、その問題をクリアしていたようです。
つまり、刀匠村正は計算してあの刀の美しさを創り出していたということ
のようです。



最後に)

家康が村正絡みであまりにもアレだったので、
「徳川実記」で家康が「村正禁止」と命じたとか、
これが妖刀の由来ではないか、という話を掻きましたが
いやはや、勉強になりました。

…とはいっても、村正が桑名のメーカーだという話でいえば
単に当時、だれもが村正ブランドの刀を持っていて、
ありふれた銘柄だったから
たまたま「村正」が続いただけで、
(同じ刀かどうかというのは言及されてない→別の刀っぽい??)
「妖刀」ではなく、ただの偶然の一致でしょ?
という気もする…だけでなく、
家康自身が村正ファンだったというのですから、
いやはや、村正ブランドすごいですね!

村正という名刀を歴史的重要物としてみるか、
美術品としてみるか、昔の日用品としてみるか、
はたまた、伝説やオカルトのキーアイテムとみるか、
いっそのことゲームのレア武器とみるか萌えキャラ(キャラ??)とみるか…
ま、ぶっちゃけ、ひとそれぞれの受け取り方ではありますが
こうやって改めて「名刀村正」について
色々な発見+見方がかわって面白かったです。

上記の徳川美術館でも「村正」はあまり展示されていないようです。
とはいえ、他の銘刀は時折展示されているようですよ。

たかが「日本刀」とはいえ、時代や流行によって幅や長さ、
材質に至るまで色々ちがい、映像や写真をみるだけで色々と眼福でした。
刀剣男子・女子の方々の知識量には程遠いですが、
少しは詳しくなれた…と思いたいものです。


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